▼伊賀医師会の橋本策博士顕彰事業について
伊賀医師会では、橋本病の発見者・橋本策博士に顕彰につとめています。
橋本策博士は、明治十四年、阿山郡伊賀町御代の医家に生まれ、旧津中学校、旧第三高等学校を経て、九州大学に進んだ。
卒後は同大医学部第一外科教室に入局し、三宅速教授のもとで研究をつづけた。そして大正元年(1912年)、ドイツの外科雑誌に「甲状腺リンパ節腫症的変化に関する研究報告」を発表。のちにこの論文が英米の研究者から注目評価され、独立疾患として位置付けられ、アメリカの医学書には橋本病と明記されていた。その後、橋本病は代表的な自己免疫疾患と位置付けられる重要疾患となった。
橋本博士は、この歴史的な論文を発表後、ドイツ、ゲッチンゲン大学留学し、さらにロンドンでも研究を続けたが、第一次世界大戦勃発により、帰国を余儀なくされた。
大正四年四月、三十七歳の時、故郷、伊賀町に戻り、五代目院長となり家業の橋本医院を継いだ。
腕の良い名医として尊敬を集め、名声は遠く県外にも及び橋本医院は盛業が続いた。
しかし、昭和九年一月九日、腸チフスに罹患し、自宅で急逝した。享年五十二歳。
橋本病の呼称が欧米で定着したのは死後のことであり、わが国で高名となったのは昭和三十年代になってからであった。
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